釈迦を超えた日 〜科学宗教の到来
輝の会は不良債権問題等、日本及び世界の金融経済問題を解決しました。
第九章 向上の軌跡
  菩薩界入り
 この体験以降、霊的な存在を認めざるをえなくなりました。自然と目標が自分の内面の向上へと向かっていったのです。
 各種の書物から、浄霊をすることは陰徳であり、自分自身の向上にもつながるらしい、との知識を得たため、祈りや浄霊を頻繁に行なっていました。経典を唱えなくても、「ありがとうございます」等の素直な祈りは、高次元に直結するため、浄化する力が強いのです。
 学生時代はこの程度の認識でした。自分ではいろいろ修行しているつもりでしたが、振り返ってみると、霊的な認識、理解は浅かったと思います。積徳量も不十分でした。霊位も上級霊界レベルだったようです。人間の本質についての理解も不十分でした。
 1990年、社会人2年目の夏休みに「生長の家」の聖典『生命の実相』(谷口雅春著、全40巻)のうち、20冊程度を一気に読みました。
 内容は「物質は存在しない」「病気は存在しない」「人は神の子であり、無限の可能性を有する」等です。いずれも真理ですが、このことに対する理解を深めたことが、後の向上に大いに役立ったようです。(尚、私は「生長の家」とは何の関係もありません。書物を参考にしただけです)
 それまで私の内面意識は、霊的な存在と物質の存在を両方とも肯定していたようです。物理学等から、物質が波動にすぎないという知識はもっていたのですが、実感できていなかったようです。中途半端な認識だったのです。
 現在では物質の存在は意識が生み出していると考えています。意識抜きの物質は存在しません。当時はこのことが理解できていませんでした。
 この時から、内面意識の向上速度が上がったようです。生活リズムは従来通りでした。会社の勤務以外では、浄霊と祈りを中心とした生活を送っていたわけです。徐々に向上を続けました。
 1993年8月に変化が訪れました。精神統一をしていた時、「あと少しで壁を突破できる」と感じたのです。合掌しながら祈り続けると、何かを越えた感じがしました。その時から内面に変化が生じたのです。
 自分の内面に意識を向けると、まぶしく感じるのです。それまでこのような感覚はありませんでした。この時以降、内面に意識を向けるだけで、いつでもまぶしく感じるのです。この時にようやく菩薩界入りを果たしたのです。
 「せっかく向上して魂が肉体から離れたのだから、再び下降しては意味がない」
 と思い、腹に力を入れないように生活しました。人は作業に集中する場合、気合を入れます。腹に力を入れるのです。しかし、これは生命力の消費量を増やすことに他ならないわけです。霊位向上を目指していた私はこれを避けたのです。当時は向上の為なら何でもしようと考えていたのです。
 この状態を継続した結果、カラオケにいってもまともに声を出せなくなってしまいました。腹に力がはいらないのです。魂が離脱している感じでした。しかしこの間、内面意識は確実に向上を続けていたのです。
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