釈迦を超えた日 〜科学宗教の到来
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第九章 向上の軌跡
 ここでは、本書執筆までの経緯について簡単に説明したいと思います
  脳の活性化
 本書の内容の根拠としているのは、自分自身の認識力です。内面意識に全ての存在を捉えることができるのです。映像化できるわけではありませんが、雰囲気・波動として感じることができるのです。
 一朝一夕で身に付いた能力ではありません。1985年から精神的な訓練を始め、徐々に能力が高くなっていったのです。
 当時は明確な修行方法など知りませんから、思いついたことは何でもやっていました。宗教関連の書物も数多く読みました。そのうち、不思議な法則があることに気がつきました。悟りを開く人は、宇宙との一体感覚を得るようなのです。
 悟りを開いた結果、宇宙と一体化する。それなら最初から宇宙との一体化を目指せば、悟りが開けるのではないか、と考えました。単純な発想でしたが、実はこれが正しかったようです。
 ヨーガの呼吸法や精神統一をやりながら、宇宙との一体化にも取り組んだわけです。もちろん肉体が宇宙と一体化するわけではありません。内面意識を宇宙と一体化させるのです。
 これは大変でした。自分の中に宇宙を全部入れようとするのですが、なかなか入りません。はじかれてしまう感じです。入れる領域を広げれば広げるほど、反発力が強くなるのです。諦めずに合掌しながら集中しつづけると、脳に圧力がかかってきて、爆発しそうになるではありませんか。全宇宙を自分の中に取り込むというのは、容易ではなかったのです


 霊位が低いと内面意識は全体と一体化することができません。習慣的に内面意識が肉体という狭い領域に閉じ込められて、光が弱くなっているためです。自己中心的な想念行為を繰り返した結果、周囲と一体化することができなくなっているのです。高次元に回帰するためには、自己中心的な想念行為を改め、全体に回帰する想念行為、即ち積徳行為を繰り返す必要があります。そうすれば光が強くなり、高次元、全体意識に回帰することができます。


 学生で暇だったこともあり、これを頻繁に繰り返していました。すると異変が起こったのです。脳が動き出したのです。脳幹が振動しはじめたのです。何か化学物質を出しながら、ブルブル振動している感じでした。
 大学の試験の時でしたから、1986年初頭でしょうか。試験帰りの電車の中でも脳が激しく振動しているのです。普通なら医者に駆け込むところかもしれません。しかし気やチャクラなど、目に見えない存在を理解しはじめていた為、これらを無視している現代医学に対し、このころ既に懐疑的なっていたのです。ですから医者に頼る気にはなりませんでした。どうせ何もわからないだろうと思ったのです。
 自分で脳に刺激を与えた結果、脳が動きだしたわけですから、ある意味当然の結果だったわけです。人間のからだはうまく出来ています。無駄な動きはしないだろうと考えたのです。
 この変化はこの後、止まることはありませでした。脳幹の振動が落ち着いてからも、脳の中にピリピリと何かが流れている感じです。理系学生だったこともあり、左脳が発達していたようです。左側にはよく流れるのですが、右側には殆ど流れません。
 流れがよくなると、頭の回転が速くなるようです。四年の輪講で発表したあと、「機関銃みたいなしゃべりだった」といわれてしまいました。高校生の頃、早口だといわれたことは一度もなかったのです。
 徐々に流れがよくなり、現在では左右の流れにそれほど差はありません。脳が動いているという自覚は殆どありません。活性化されているといった感じです。柔らかいのです。気がスムーズに脳の中に溶け込んでいく感じです。
 さらに特徴的なのは、内と外の壁が無くなることです。自分自身の意識が外へ自由に動いていける感じなのです。ですから、肉体の中に自分自身が閉じ込められている感覚は殆どありません。これは脳の覚醒当初から徐々に感じはじめていました。脳の変化は意識の変革をもたらすわけです。
 ほとんどの人は「人間は肉体である」と子供の頃から教わって生きています。この思い込みが脳に影響を与え、内面意識を肉体の内側に閉じ込め、固定化しているようです。ですからこの感覚は絶対ではないのです。人類の長年の思い込みが生み出した癖にすぎないわけです。変更可能なのです。だからこそ「宇宙と一体である」との意識を繰り返すことにより、脳に変化が起こったのです。宇宙との一体化は可能だったのです。


 もちろんこの間、精神的な修養は欠かしませんでした。欠かせなかった、という方が適切かもしれません。
 1986年になってから、「般若心経」を唱えたりしていたのですが、しばらく続けるうちに、体に異変が起こりました。体の中で何かが動こうとしているのです。私の意思ではありません。
 「動きたいなら、動かしてやるか」
 と思い、体の力を抜いたのです。すると数秒間プルプルと体が振動した後、フッと何かが体からぬけたのです。
 「終わったな」
 と思い、読経を続けると、再び何かが動こうとするではありませんか。力を抜くと、体が震えた後、何かが抜けていくのです。結局この震えを、読経を止めるまで繰り返さなければなりませんでした。
 一体何が起きていたのでしょうか。未浄化な意識(霊)が、私の体の中にはいってきたのです。そして私の体の中で清まり、抜けていったのです。
 脳の覚醒は、意識の広がりをもたらす一方、体質を霊的な存在と交流しやすいものへ変化させるようです。
 読経による高次元への意識集中により、光が体内に流れ込みます。この光と未浄化な霊が、肉体内で合流し、浄化が行なわれたのです。無意識のうちに浄霊を行なっていたのです。
 脳の覚醒には、このように見えない存在との交流を深める働きがあるようです。ですから、この頃から、いやでも精神的な修養を行なわざるをえなかったのです
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